今回は日付が近いので天正十五年十月一日に行なわれた
  北野大茶湯に関するクイズです。


@  触書」の中に次のような言葉が出てきます。
   一茶湯於二執心一は、又若党、町人、百姓已下(イカ)によらす、釜一、
   つるへ一、のみ物一、茶こがし(焦)にてもくるしからす候条、ひっさけ来
   仕候へき事。
   ・ ・・つまり「誰でも北野に来て席をもて!」と言う事でしょうか。
   しかも与えられた席の広さはなんと二畳のスペースだった様です。
  
   では問題です。三択で答えていただきます。
   『兼見卿記』という記録の9月28日、つまり10月1日の二日前です。
   茶席がいくつ用意されていたと書いてあるでしょうか?
   
   @ 205席  A 500席  B 800席
 
 <答え>
   Bの800席
    場所は北野天満宮の拝殿から松梅院に至り、その間一間も空き地
    なく八百余の茶屋が建てられたそうです。
 

A   『多聞院日記』という記録に当日いくつの席がかかかっていたと書いて
    あるでしょうか?
  
    @400席  A1000席  B1500席
  
    ヒント⇒9月28日の記録の何と倍近くの茶屋が建てられた事になります。   
         
  <答え>
    Bの1、500席
     「茶屋千五百ト・・・」と言う事で、当日までに倍近くの茶屋が建てられた。
     との事です。 
            

B この茶会でもあの有名な黄金の茶室が
  飾られました。現在熱海のMOA美術館
   に復元されているのは有名です。
   この時この黄金の茶室はどのような形で
   使われたでしょうか?

  @ 秀吉の点前の席で使われた
  A 利休の点前の席で使われた
  B 別の所に道具だけ置いて飾られた
  C 境内の中央に誰からも見られる様に
     回転式の舞台に飾られた

<答え>
  B  
  その黄金の茶室を拝殿内中央に据え、
  「北野拝殿カコイテ三座敷三ヶ所」とある
  ので 三つの茶室が設けられ、右から左
  に抜ける一間の通路があり、自由に拝観
   を許した。
   (大きさは三畳、天井、壁、障子の骨まで
    黄金。茶道具の大部分が黄金)

     
        

C ここで秀吉は四つの茶席を懸けました。  
     
     一番は何と「関白」と言うから秀吉自ら点前をした席    
     二番 「千宗易」つまり利休の点前の席        
     三番 ????        
     四番 今井宗久 さて三番の席を担当したのは誰でしょうか?

    ヒント⇒堺の大商人 天下三宗匠といわれた人です  
  
  <答え>
      津田宗及

D  秀吉の席にみえたお客はある方法で4席に振り分けられたそうです。
    その方法とは?
  
    @くじ引き 
    A早いもの順  
    B金を多く出した者の順  
    C遠方の人が優先

   <答え>
    @の「くじ引き」
  
    当日秀吉の前で鬮(くじ)取りによってきめられ、それぞれの点前で茶を
    もらった
   ○吉田兼見という人は八人一緒に罷り出でて「くじ」を引いたというから、
    一席に二人ずつ
   ○『長闇堂記』には「五人組にして、四つ御座敷にて御茶被下候」とある
     ので、 後に一席あたりの人数を増やして早く捌(さば)こうとしたらしい
   ○ こんな事が書いてあります。
     「鬮(くじ)取ニ、はつれて門ヲモ不レ入、御茶ニはつれたり、油断合敵
      トハ此事也、是ヤマイニ成テ死タリ、・・・」
    ⇒つまり秀吉の席を楽しみに来たけれども、遅れてきたので、くじ引きも
     できず、門にも入れない。おまけにお茶も飲めなかった。終いにそれが
     きっかけで病気になって死んでしまったそうです。
     その位大勢集まったと言う事でしょう。