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利休の師匠武野紹鴎が月見の茶会を催しています。 ちょっと覗いてみましょう 「今井宗久茶湯日記書抜」にある会記です 天文二十四年(一五五五)十月二日 紹鴎老御会 宗久 宗二 一イロリ 細クサリ 小霰釜、水二升余入、ツリテ、 一床 定家色紙、天ノ原、下絵に月を絵(書)ク、手水ノ間に巻テ、 一槌ノ花入 紫銅無紋、四方盆ニ、水仙生テ、 一円座カタツキ、水サシ イモカシラ 一シノ茶ワン 備前メンツウ ・客は堺の大商人今井宗久、利休の弟子山上宗二、 亭主が武野紹鴎です ・十月二日 ・床に藤原定家筆の色紙で安倍仲磨の「天の原」の歌、下絵に月を 絵が書かれていました 「古今和歌集 卷第九」 もろこしにて月を見てよみける あまの原ふりさけみれば かすがなる みかさの山にいでし月かも ・秋なので槌ノ花入 ・水指が芋名月に因んで芋頭 それでは問題です。 この日の茶会、何と初めて行われたことがあります。 それは何でしょうか? ヒント⇒床の間です <答え> はじめて和歌が床の間に掛けられました。それが武野紹鴎 | |
| �◆ |禺櫃了呂泙蠅篭癲�銀、砂張、鼈甲、象牙でできた 薬匙(やくじ)と呼ばれ、薬を掬う物が代用されてい たといわれます。 竹を思いついたのは村田珠光と考えてよいで しょう。 珠光作の写真の茶杓が現存します。 宗旦銘(香雪美術館蔵) この竹茶杓が薬匙の姿を とどめている事で、茶杓の始まりは中国の薬匙に 由来すると言われている事が証明されます。 (小田栄一氏) さてこの茶杓、銘は何というでしょうか ヒント⇒形を良く見て下さい。 瓢箪のような形です。お茶に使う瓢箪! <答え> 村田珠光 銘 茶瓢 |
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楽茶碗を焼いている楽は亡くなると代々「〜入」となります。 三代道入から始まり、一入、宗入、左入、長入、得入、了入、旦入、慶入、 弘入、惺入、十四代覚入まで。 どうしてこのようにいわれるようになったのでしょうか? ヒント⇒夏になるともくもく「〇〇〇〇雲」が出てきます。 これをひっくり返して三代になりました <答え> 入道(にゅうどう) 三代道入は剃髪して「入道」になりこれを入れ替えて「道入」と称した。 (覚入談) 楽家ではこの「入」を残して代々「〜入」となります。 | |
| �ぁ� 楽三代のノンコウ作でノンコウ七種といわれるもの があります。黒が四つ、赤が三つあります。 その内、次のような話しがあるのは何という銘の 茶碗でしょうか? 「大阪の岩井某が所持していた時 ある人がこの 茶碗が欲しくて恋わびて病気になってしまい 友人が掛け合った所 売るつもりは毛頭ないが せめてこの茶碗で茶を差しあげよう、といったので この病人はたちまち元気になり 早速茶会へ出か けたという。 茶を頂いた後 水屋の棚に黄金二百枚を置いて 持ち帰ってしまった」 ヒント⇒赤茶碗 所持者の金閣寺の和尚の名前です。 後に文化(一八0四〜一八)の頃に五百三 十両で松平不昧が所持する <答え> 鳳林(ほうりん) |
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| �ァ ヽ擇痢屮離鵐灰Α廚離�イズをもう一つ 三代目「道入」といい「ノンコウ」といいます。 変わった名前です。 二代常慶の長男 名を吉兵衛、後吉左衛門。 宗旦、光悦と親しい。 銘印は大小二種。楽の字の中の「白」が「自」に なっている。「自楽印」と称される。 さてこの変わった名前の出所は、色々言われて いますが、当時流行した伊達とされた「のんこ髷 (まげ)」を道入が人に先んじて結った為とか、 宗旦が伊勢参宮の途中、能古茶屋(のんこ茶屋) 近辺でこの竹を見つけ、二重切花入を作り「ノン カウ」と銘をつけ、楽吉兵衛に贈った。 これをもらった吉兵衛は毎日これに花を生け、 来客に接したので、いつの間にか人は吉兵衛の ことを「のんこう」と呼ぶようになった。 さてこの二重切の花入を入れた能古茶屋とは 何処にあるでしょうか? ヒント⇒伊勢参宮の途中であったという事。 今はサーキットで有名 <答え> 鈴鹿(関と亀山の間) |
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