| �� 「あこや」といわれる菓子が『利休百会記』の 八月十八日 昼の会 十一月 十日 朝の会 などに使われています。 さてどのような菓子でしょうか。 ヒント⇒「あこや」といえば「あこや貝」。 「あこや貝」といえば「真珠」です。 後に載餅や 引千切などの姿に変わっていったそうです。(鈴木宗康氏) <答え> あこや貝のような形をしているところからの名称です。 ![]() 粳米(うるちまい)を三時間ほど水に浸け、木臼で叩いて絹篩に かけて湯で捏(こ)ね、小さな常節貝(とこぶしがい)のように 作って蒸しあげ、中央に餡を置く |
| �◆…傘�僧正の鳥獣戯画(国宝)の四巻目し収されたこの絵は 何をしているところでしょうか? ヒント⇒お茶で使う炭に同じ名称があります。 左利きの事を「ヒダリ○○○○」とよびます ![]() <答え> 毬打(ギッチョウ) 左ききで毬打をすることを「左毬打」といいます。 古く中央アジアに 始まって、中国を経て奈良時代に競技に打毬(だきゅう)とよぶ物が あった。和名を「まりうち」ともいい、十人(又は二十人)ずつの二組 に分かれ、場内にまいてある二十個の毬(まり)を毬杖(ぎっちょう) とよぶ杖で打って 毬門(ぎゅうもん)と呼ぶゴールに数多く入れた方 が勝ちとするものであった。 多くは騎馬で行うものであったが、徒歩 で行うようにもなった。 服装も唐人風にして中国より渡来したままの 形の競技であった。 平安時代中期には衰退し江戸中期将軍吉宗が復興した。 競技としては衰退したが遊技として派生し、これをギッチョウと呼んだ。 江戸時代初期になると、槌の部分を八角形にけずったものを 「ブリブリ」と呼んで これに紐や棒を付けて打つ様に変わった。 後、「毬打」も「ブリブリ」も飾り物と化し男児が生まれた正月に 贈る祝儀物となった。 |
| �� 「回回青(かいかいせい)」又は「回青(かいせい)」はコバルト 顔料 染付などに使われているコバルト(青色)顔料のことですが、 さて何故このような字を充てるのでしょうか ヒント⇒回々織でモール(莫臥爾織・毛宇留・毛織) 十六世紀から十九世紀までインドをイスラム政権として、 その西北部を支配した莫臥爾(ムガール)帝国が 一八五七年にイギリスに亡ぼされた。 <答え> 回教(イスラム教) 回教(イスラム教)圏から中国明朝に輸入されたコバルト青色 顔料。回回青。 ペルシャ人、アラビヤ人などが陸路および海路より盛んにもた らした。 アラビア人がインドネシアのスマトラ地方に持ってきて、それを 中国人に売り渡したもの。 明朝宣徳年代(一四二六〜三五)、成化(一四六五〜八七)、 嘉靖・万暦(一五二二〜一六二0)にかけて回青が利用された。 |
| �ぁ‥渓椶箸�天目茶碗という名称は日本でつけたものであって、 中国での呼称ではないが、現在では欧米でも中国でも広く 使われています。 建盞天目の特徴としては素地は堅く、黒褐色、紫褐色を呈し 下部は厚くつくられている。 形状はやや浅く、開きかげんで、 高台は低く小さい。 そして口縁は一段曲線を有しています。 この口の形状を一般になんといっているでしょうか? (○○○○ぐち) ヒント⇒亀によく似ています。 鍋などにして食べる事があります。好き嫌いは別として <答え> スッポン(鼈嘴)口 |
| �ァ〃�窯で焼かれた天目茶碗のうち、黒もしくは茶褐色の地に 褐色もしくは黒い細い線が兎の毛ように流れているものを なんと呼ぶでしょうか? この言い方はもとは中国の言い方で、日本でも室町時代 には使われていました。 わが国では禾目天目とも呼びもともと油滴のような釉薬が 流れたものであろう。 <答え> 兎毫盞(とごうさん)といいます |