| �� いろいろな定義なあるでしょうが、現存する最古の茶会記 といわれているのは何という会記でしょうか? 天文二年(一五三三)三月二十二日に始まっています。 3代に渡って書かれたこの会記は当時の茶会を考える上で 非常に貴重とされています。 ヒント→『○屋会記』 (○は漢字一文字)久政・久好・久重の三人 歳寒三友(さいかんさんゆう)といわれるのは、○、竹、梅 答え→ 松屋会記 最古の茶会記といわれています。 しかし現存するものは江戸時代に書き写された物です。 自筆で最古といわれるものは『天王寺屋会記』 (津田家の茶会記)です。 |
| �◆‥契欺叔�(一五八二)五月、博多の豪商で酒屋、土蔵を業とし、 貿易商人として巨富を積んだ島井宗室は博多から上洛、 京都○○寺で催された信長の茶会に招かれ、寺の客殿に宿泊しました。 明智光秀の軍に攻められたとき、「弘法大師真蹟千字文之軸」をまた 同じく葉博多の豪商である神谷宗湛は遠浦之帰帆之一軸を持ち出した。 そのお蔭でこれらの掛軸は災難から免れたといわれます。 でもよく考えてみますと火事場泥棒に近いのでは? さてこの茶会が催されていた寺の名前は何? 答え→ 本能寺 物の運命も様々です。 |
| �� 奈良に藤重藤元、藤重藤厳(ふじしげとうげん)という親子が いました。 慶長二年大坂城落城に際し、この親子が徳川家康に召され 焼け跡から新田肩衝、鴫肩衝、玉垣文琳、小肩衝、大尻張などを 拾い上げ、六月に家康に献上した。 また九十九髪茄子、松本茄子、針屋円座などを持ち帰り献上 しましたが、九十九髪茄子は藤元に、松本茄子は藤厳に給わった そうです。 さてこの親子は何をして家康からこのようなご褒美を頂いたので しょうか。この親子の職業に関係しています。 答え→ 藤重藤元、 藤重藤厳(ふじしげとうげん)は塗師でありますので、 茶入等の破損を漆で繋ぎました。 |
| �ぁ,�茶ではもてなす側を「亭主」、もてなされる側を「客」といいます。 一般には亭主というとご主人のことをさしていうと思いますが、 お茶では男性でも女性でも関係なく、茶会を催す主催者を「亭主」 といいます。 鎌倉末期から室町時代に盛んに行われた、お茶を飲みあてる賭け 事で「闘茶」という茶会がありました。この闘茶を行った会場(会所と言う) は主に、例えば銀閣寺などに代表されるように、下層は客殿といい、 上層は眺望を四方に開いた二階建ての楼閣でした。 この上層を「喫茶の亭」と称してそこで闘茶を行いました。 この「喫茶の亭」の主人を「亭主」と呼んでいました。ですから現在も お茶事を催す主人(主催者)という意味で、「亭主」ということばを使って います。 またその亭主のことを「東」ともいいます。そして水屋や席中で 亭主の影になり、すべてのことを補助する役が「半東」です。 さてこの「東」「半東」という言い方はどのような意味があると言われて いるでしょうか?いろいろな説があるとは思いますが? 答え→禅家では東とは住職のことをいうのだそうです。 ○ 参考 ※ 西堂(さいどう・せいどう) (西は賓位であるからいう) 禅宗で、他寺を隠退してきて 本寺に住する長老。 転じて、住職以外の上首をいう。 西庵。 ※ 東堂(とうどう) 禅寺で、前住(その寺の前の住職)の居所。転じて、前住。 そして水屋や席中で亭主の影になり、すべてのことを補助 する役が「半東」です。 禅寺で大衆に粥飯を供する役僧を「はんとう飯頭」 (又は「はんじゅう」)といい、その語からきたともいわれています。 |
| �ァ ̄�が降ったときに露地で使う傘が「露地笠」です。 この笠のことを別名「ばっちょう笠」(ばんじょう笠・ばっち笠)とも いいます。さてこの変わった名称は何処から来ているでしょうか? ヒント→呉器茶碗の一つに番匠呉器(ばんしょうごき)というものが あります。古代、交替で都に上り、木工寮(もくりょう)で 労務に服していた大工のことを「番匠(ばんしょう・ばんじょう・ ばんぞう)」といいました。 この大工の飯椀に似ているのでこの茶碗は番匠呉器と いわれているそうです。 答え→ そうです。この番匠が持ち歩いていた傘からついた 名称だそうです。 |