クイズの答え<文月〜下>



@  江戸時代、淀川の通い船で酒食を売った時に使った粗磁の茶碗が
    有ります。
    家康から許しを得たといって「餅くらわんか、酒くらわんか」とさけん
    で売ったのだそうです。それをお茶の茶碗としても使うようになりま
    した。 はじめは伊万里の染付の下手物や砥部焼(愛媛)、後は古曽
    部焼(大阪高槻)も用いたようです。
    さてその茶碗は何と呼ばれた茶碗でしょうか?
    もう答えを言ってるようなものですね
  <答え>
     くらわんか茶碗
    
A  この花入の銘をあてて下さい
    利休の消息が添う
    
   利休から三斎の家老松井康之に
   贈られその後細川家に伝来してい
    ます。 孔子の一番の弟子で貧乏
   暮らしをしながらも、天命を楽しみ
   徳業をもって聞えたという人の名
    前が銘になっています。
   <答え>
    「願回」という銘です
   
   顔囘(がんかい)
   春秋末、魯の人、孔子十哲の首
   位 貧乏暮らしをしながらも、天命
   を楽しみ、徳業をもって聞えた。
   
   論語「子曰く、賢なるかな回や、
    一箪の食、一瓢の飲もて、陋巷
    (ろうこう)に在り。人はその憂い
    に堪えざるも、回はその楽しみを
    改めず。賢なるかな回や」 陋巷
    (ろうこう=狭いちまた 貧民街)
  
 
 永青文庫蔵  
 B もう一つ銘をあてて下さい
  今度は香合です宗旦のお弟子さん
   で藤村庸軒の好みです 小振りの
   丸型瓢に土佐光起が瓢の花と葉
   を岩絵の具で置き上げで描き、
   庸軒の直書と箱書が有る。
  型物香合番付には、標有梅と共に
   行司役。
   「あ!!!写真に答えが〜〜〜」  
   <答え>
    囘也(かいや) という銘
    Aの答えの 「願回」の事です
C 利休の弟子である山上宗二が書き残した「山上宗二記」というものが
   あります。
   その抜粋です。
   「一、竹茶杓
        珠徳作アサチ゛代千貫、惣見殿(総見)御代火入失ス」
   ※ 「珠徳作で銘が浅茅という竹の茶杓が値段が一千貫文、総見
     (総見院とは信長の事)の時代に火事でやけてしまいました。
     (本能寺の変か)」という解釈になるでしょうか。
    一千貫文とはおよそ一千石
    一千石は一升ビンに換算するとなんと十万本分の米
    では問題です。
    この珠徳という人はある人の茶杓の下削りをしていた人です。
    さてある人とは???
   <答え>
    村田珠光です
    ちなみに
     村田珠光の茶杓の下削り師―――珠徳
     武野紹鴎の茶杓の下削り師―――羽淵宗印、南都宗栖
                                 (なんと そうせい)
     利休の茶杓の下削り師 ―――甫竹、慶首座(けいしゅそ)  
    等が有名です
D  今井宗久茶湯書」の抜粋です
    天正十四年十二月十六日朝飯後   宗易会   上様御成  笑嶺  原久
    一 床 欲了庵文字カケテ 前ニ長盆ニ千鳥香炉布袋香合置合
    御前ニテ東大寺一煙タキテ 上様御キキナサレ 御相判ニモ玉ハリ候
   
  ※ 天正十四年十二月十六日朝飯後、利休が催した茶会、客に上様(秀吉)
   相伴に笑嶺と原久。床の間に欲了庵の軸、その前に有名な千鳥の香炉
   を盆のせ布袋の香合と置き合わせて、名香の東大寺(蘭奢待)をたいて
   上様が聞き、皆相伴した。この時利休もかの蘭奢待を聞いたのでしょう
   では問題です。
    ここに「床 欲了庵文字カケテ・・・」という言葉が出てきます。
    欲了庵とは了庵清欲(りょうあんせいよく)という中国元代の禅僧です
    この様に「了庵清欲」を「欲了庵」というのに一つのきまりがあります。
    気が付きますか???

    ヒント→一山一寧(いっさんいちねい)   ⇒寧一山(ねいいっさん)   
         蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)  ⇒隆蘭渓(りゅうらんけい)
         一休宗純(いっきゅうそうじゅん) ⇒純一休(じゅんいっきゅう)  
   <答え>
    「最後の一字を頭に持ってきて上から三文字読む」という読み方があります